中野区髙德寺に眠る新井白石(あらいはくせき)先生のご紹介

主な政策や行動


六代将軍家宣・七代将軍家継の時には幕政を補佐。
綱吉が作った「生類憐れみの令」の廃止。
武家諸法度改訂、貨幣改鋳、海舶互市新令(かいはくごししんれい)の施行、儀式典礼の整備などがある。

正徳1年(1711年)以後は、将軍の政治顧問的立場で内政外交両面での大改革を主導した。
七代将軍家継の時代には、金銀貨改良・長崎貿易制限の二大事業の達成に献身し、
対朝鮮外交の刷新や対琉球外交の強化を実行した。

「生類憐れみの令」の廃止

江戸時代の第五代将軍・徳川綱吉による「生類憐みの令」は、犬、猫、魚だけにとどまらず、蚊も殺してはいけないという決まりであり、人間の生活が危ぶまれる極端なものだった。
新井白石は綱吉の死後、綱吉の側近たちの反対を押し切り「生類憐みの令」の廃止に努め、成功している。

通貨吹替え

江戸時代の第五代将軍・徳川綱吉の時代に、荻原重秀の通貨政策により大量に鋳造された元禄金銀および宝永金銀を回収し、
徳川家康の「貨幣は尊敬すべき材料により吹きたてるよう」の言葉に忠実に慶長金銀の品位に復帰する、良質の正徳金銀を鋳造。
これを「正徳の治」と言い、正式名称は「正徳の貨幣改鋳」と言う。
結果としてインフレの緩和に繋がったが、徹底した政策によりデフレを引き起こすこととなった。

長崎貿易の縮小

開幕以来、長崎貿易で大量の金銀が海外に流出した結果として、長崎貿易そのものが困難となっていた。
そこで白石は貿易を基盤としていた長崎の困窮を解決するため、貿易そのものを縮小する政策を取った。
これを「海舶互市新例」と呼ぶ。


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